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グラスゴー (軽巡洋艦・初代) : ウィキペディア日本語版 | グラスゴー (軽巡洋艦・初代)
グラスゴー (HMS Glasgow) は、イギリス海軍のタウン級の1隻。艦名はスコットランド南西部の都市グラスゴーに因む。この名を持つ艦としては6隻目にあたる。 == 艦歴 == グラスゴーは1909年3月25日にゴーヴァンのフェアフィールド・シップビルディング・アンド・エンジニアリング・カンパニーで起工した。1909年9月30日に進水し、1910年9月に就役した。 第一次世界大戦の勃発時、グラスゴーは南アフリカ沿岸で活動していた。1914年8月16日にドイツ商船カタリナ (''SS Catherina'') を拿捕する。1914年11月1日、チリ沖で発生したコロネル沖海戦に参加。海戦ではグラスゴーと装甲巡洋艦グッド・ホープ (''HMS Good Hope'') 、モンマス (''HMS Monmouth'')、仮装巡洋艦オトラントが、マクシミリアン・フォン・シュペー提督率いるドイツの装甲巡洋艦シャルンホルスト (''SMS Scharnhorst'') 、グナイゼナウ (''SMS Gneisenau'')、巡洋艦ライプツィヒ、ドレスデン、ニュルンベルクと交戦した。グラスゴーはライプツィヒとドレスデンからの砲撃で5発の命中弾を受けた〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.142〕。ただし、その内3発は爆発しなかった〔。イギリス軍はモンマスとグッド・ホープが撃沈され敗北した。 逃走に成功したグラスゴーは11月6日にはマゼラン海峡東端に到達し〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.173〕、まず修理のためリオデジャネイロに入港した〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.187〕。それからアブロルホス礁 (Abrolhos) で巡洋戦艦インヴィンシブル (''HMS Invincible'') 、インフレキシブル (''HMS Inflexible'') などと合流した。11月28日にイギリス艦隊はアブロルホス礁から出航し、フォークランド諸島へと向かった〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.192〕。 艦隊は12月7日にフォークランド諸島に到着〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.193〕。その翌日、シュペー艦隊がフォークランド諸島に現れフォークランド沖海戦が発生した。フォークランド攻撃を試みたドイツ艦隊は戦艦カノーパスからの砲撃を受けると攻撃を断念して逃走を開始した。フォークランドからは最初にグラスゴーが出撃し、続いて2隻の巡洋戦艦と装甲巡洋艦ケント、カーナヴォン、コーンウォールが出撃した〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.200〕。イギリスの巡洋戦艦に追いつかれるとライプツィヒ、ドレスデン、ニュルンベルクの3隻がシャルンホルストとグナイゼナウから離れて逃走を始めた。それをグラスゴーはケントとコーンウォールと共に追跡した[''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.204〕。1時間の追跡の後グラスゴーはライプツィヒに追いつき戦闘を開始した〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.213〕。続いてコーンウォールも戦闘に加わり、ライプツィヒは撃沈された。ライプツィヒとの交戦でグラスゴーは2発の命中弾を受け、死者1名負傷者4名を出した〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', pp.215-216〕。海戦はイギリスの勝利に終わり、ドイツ側はドレスデン以外すべて撃沈された。] 逃走に成功したドレスデンをイギリス軍は捜索した。1915年3月7日にチリ沖でケントがドレスデンと遭遇。その報せを受けてグラスゴーはファン・フェルナンデス諸島のマス島 (Más a Tierra) へ向かった〔''Graf Spee's Raiders Challenge to the Royal Navy, 1914-1915'', p.233〕。1915年3月14日、グラスゴーはケントおよび仮装巡洋艦オラマと共にカンバーランド湾 (Cumberland Bay) に入り、そこに停泊していたグラスゴーを攻撃した〔。攻撃を受けたドレスデンは白旗を揚げ、グラスゴーへ士官を派遣。そしてグラスゴーでの交渉中にドレスデンは自沈した。ドレスデン沈没後、グラスゴーの乗組員が溺れているブタを発見した。乗組員はブタを「ティルピッツ ''Tirpitz''」と名付け艦のマスコットとして1年間飼育した。その後ティルピッツはポーツマスのホエール島砲術学校で飼育された。 グラスゴーは1915年に地中海に配属され、1917年にはアドリア海の第8軽巡洋艦戦隊に配属された。 戦後グラスゴーは短期間機関員の訓練艦任務に従事し、1922年に退役、1927年4月29日にスクラップとしてモーカムで売却された。 カナダのアルバータ州にあるグラスゴー山は本艦に因んで命名された。
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